はじまりとおわり

本来は3月に書く予定だったブログですが、何を書こうか迷っているうちに、4月になってしまいました。ということで、3月と4月についてなんとなく普段感じていることを書いてみたいと思います。
 3月は多くの児童・生徒・学生にとっては何かの終わりを意味する月になります。和風月名では「弥生」と呼び、その由来は「木草弥生い茂る」=「草木が生い茂る」月 となるようです。一つの学年が終わったり、卒業をしたりと一つの区切り(終わり)を迎える月になります。一方の4月は「卯月」と呼び、「卯の花」の月とされます。これは旧暦の4月(現在の5月中旬から下旬)にかけて咲く「ウツギ」の白い花で初夏を指しているとされます。この月は始業式や入学式、入社式など、始まりの月になります。生活面では3月が「おわり」で4月が「はじまり」ですが、和風月名ではどっちもはじまりのイメージですよね。
昔は私自身、3月も4月もあまり区切りや節目だったり、開始だったりということをあまり気にしていなかったのですが、社会人になってようやく、「はじまり」や「おわり」を意識するようになりました。
学生時代は多くの事柄が「自分」のことで、「自分」が動けば良かったのですが、社会人になったときに自分一人で「はじ」められること、「おわ」れることがあまりないことに気が付きました。その理由は、相手がいる、ということです。
社会人になってからは「学生」という相手もいますし、「同僚」という相手もいます。また外部の「関係者」という相手もいます。様々な相手がいるので、自分一人では「はじ」められませんし、勝手に「おわる」ことができな(「おわらせる」ことは出来るかもしれませんね)かったのです。そう気がついた時から、様々な人と関わりながら、「はじまり」や「おわり」を日々繰り返して、少しずつ人間として成長をしているのだと思います。(そう思いたいだけですが。)
今、何かの始まりを迎えて、不安を感じている人もその不安はいつの日にかは「おわり」を迎えます。同じ日々の繰り返しに見えても、日々、何かが「はじま」って、何かが「おわ」っています。そう思えるようになれば、不安もいつまでも続くものではないと思えるのではないでしょうか。
何はともあれ、新しい元号も発表されました。日本全体が何かの「はじまり」に希望や不安を抱きながら動き始めています。私も今目の前にあることを一つずつ「おわ」らせて、新しい何かを「はじ」めていきたいと思います。
※写真は淡路島にある伊弉諾(いざなぎ)神宮です。日本を造った、つまり「はじまり」の神様を祭っています。

 

 国立国会図書館webページより www.ndl.go.jp/koyomi/chapter3/s8.html